ランド屋太郎

ミャンマーの辺境地域のレポートをまとめました。ご希望の方は「辺境レポート希望」と書いたメールを web@myanmar-explore.com まで送ってください。もちろん、無料です。

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初めて会ったのは・・・・(4)

ミャンマー、日本以外の国であったミャンマー人は
最初がマレーシアのクアラルンプールの中華街での怪しい石屋、シンガポールでのアパートのお隣さん、そしてマレーシアの喫茶店でのウェイターさん、ベトナムで石油会社に勤務していたミャンマー人女性の4人位だ

マレーシア在住のNのところに遊びに行き喫茶店と言っても
路上に机と椅子を出してる店だが
そこでアイスコーヒーを注文したところ、ウェイターがミャンマー人のようなので
話しかけるとヤンゴン出身のミャンマー人男性で

「俺はインヤロードの○○に住んでる」と言うと非常に喜び
何故か、アイスコーヒーをご馳走してくれた

今、思えば彼が一番普通のミャンマー人だったような感じがする

スカイプで海外にいるミャンマー人とチャトをするのを楽しんでいたが
イタリアに留学しているミャンマー人女性とチャトをしたときは
一体、どんなお金持ちのお嬢さんなんだろうと思ったものだ

バガンでよく使っていたビルマ料理のレストランのオーナーの娘も
フランスのパリに留学していると聞いた時も驚いたが
皆、たくましい

チンドウィン川中流の街、ホマリンで会ったトンクーナガ族の人も
子供をカナダ、アメリカ、シンガポールで留学させてると言っていたし
何でそんなにお金があるのか周りの人に聞いて、理由が分かったら納得もした

太郎が独立する前のサラリーマン時代のヤンゴン事務所の大家さんも
パン屋が生業と言っていて、お店もあったが
息子と娘はシカゴ、台湾、シンガポールで大学に留学していた

シカゴの息子さんはアメリカで医師として成功していると聞いている

パン屋ってそんなに儲かるのかな・・・・・

日本に来る政治難民や一部の出稼ぎと言われるミャンマー人なら
海外に出るのはわかるけど
そうじゃない目的で海外に出る人たちってどんだけ裕福なんだろう?

最近ではミャンマー人の海外旅行も盛んになって来ているようだし
海外でミャンマー人に会う機会も増えていくのかな?
続き▽
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初めて会ったのは・・・・(3)

マレーシア、クアラルンプールの中華街でビルマ人と出会った次は

シンガポールのオーチャード・ストリートの裏というかマウント・エリザベス病院近くの
3部屋か4部屋で台所、キッチン、風呂共同のアパートに住んでいたときにビルマ人の男性と会った

彼は太郎の隣の部屋に住んでいて、よく遊びに来るビルマ人曰く
「彼の父親はビルマで一番大きな宝石店を持ち毎日、ゴルフをして暮らしている」と言う。

その時、たまたま、ミャンマーの芥子畑や反政府活動をしている連中のキャンプに
行った友人が撮った写真を持っていたので見せて話をしたが

どうも、彼はまったくこういう話に興味がなかったようで
今思えば、初対面の外国人にペラペラ話したら怪しいけど・・・・・・
初対面のビルマ人にそんなことを尋ねた太郎が怪しかったんだろうな〜(苦笑)

このとき貰った名刺をなくしてしまったのは
本当にミャンマーに赴任してから悔やんだものでした

今なら面白い話を聞けたのにな・・・・・
続き▽
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初めて会ったのは・・・・(2)

太郎はまだ大学を出たばかりで勤務先のマレーシアのクアラルンプールで
中国系女性スタッフから「CUTE」と言われても英語がまるっきり分からず愛想笑いをするだけの日々でした

英語の出来ない太郎が朝6時から夜の10時まで英語を使う日々になり
休日(ほとんどなかったですけど)に中華街や知らない屋台を
当時の英語の先生とひやかすくらいしか楽しみがなかった記憶があります



ある日、クアラルンプールの中華街を観光客気分でウロウロしてると
道の脇で鉱石のようなものを売ってる男がいた

うーん、今の東京で言えば
JRの駅近くで拾い物の週刊誌や漫画を売ってる人たちみたいな感じです


太郎は子供の頃から祖父に連れられて水晶等を山に取りに行ってたんで
石には興味があり並べてある石を見てると緑色の石があった

石を売ってる男曰く
「ミャンマーのヒスイだ」と言う

「国境貿易」を既に読んでいたので
「カチンのか?」と尋ねると

いやな顔をして
「俺はカチンじゃないがこのヒスイはカチンから来たものだ」と
言うので
「それじゃ、お前はビルマか?」と尋ねると

男は「何でそんなことを聞くんだ?」と逆に質問し
太郎の片言の英語でのコミュニケーションで彼はビルマ族の男性だと分かった


今、思えばヒスイがカチンから来たという話も眉唾物ですが
当時の太郎には
ミャンマー人がクアラルンプールにいると言う事実に単純に驚いて
おまけにカチンのヒスイと称するものを売ってたのでラッキーと言う感じでした


聞きたいことが山ほどあったんで(笑)
しっかり英語で質問を作って次の休日にも中華街に行ってみました
続き▽
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初めて会ったのは・・・・(1)

太郎が始めてミャンマーに行ったのは学生時代
それまで中東やアメリカのテキサスに行ってたのが
何故か紛争地帯に興味を持ってタイ・ミャンマー国境の
国民党の村、メーサロンに行き、そこから国境を越えるようになった

でも、あれって今思えばミャンマーに行ったって言えるのかな?

先に国境に行ってから翌年に7日間のビザでヤンゴンに行ったけど
旅先で親切にしてもらった思い出と飯が安くて腹いっぱい食べれて
物凄く嬉しかった思い出しかない

行った場所もヤンゴンとニャウンシュ、タウンジー位しか記憶にない
ヤンゴンからタジまで列車で行き、タジからタウンジーまで
乗り合いバスのような小さい車で行った

ガイドブックはLonely Planetだけだったんじゃないかな?
あとタウンジーゆきと言う日本人女性の書いた(多分)自費出版の漫画が
参考になったかな?

あの頃はミャンマー以外でミャンマー人に会うなんて想像もしてなかった
初めてミャンマー以外でミャンマー人に会ったのは
マレーシアの中華街だった
続き▽
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アジア各地のミャンマー人

ミャンマー本国から海外に出稼ぎに出ている数多くのミャンマー人

何故か日本は政治的亡命と言うか
経済的に出稼ぎに来ているのではないと言うミャンマー人が圧倒的に多い奇妙な国ですが

まあ、人権にうるさく報道で生計を立てている新聞やテレビのマスコミが
そう言うんだからそうなんでしょうね(笑)

マスコミなどに出て民主化を進めてる活動家のような印象を与えていて
実際は出稼ぎ地の日本に合法的にいるために難民ビザを申請しているミャンマー人が
いたら新聞やマスコミがそういうことを書いてくれるだろうから
日本はマスコミを信用できる国だからミャンマーと違って安心です

知ってて書かないことはあっても
違ってると知っていて課か言うことはないでしょうから!!!

話がそれたが
アジアにはインドや台湾以外の国にも大なり小なり
ミャンマー人のコミュニティーがある

太郎が一番興味あるのが台湾のミャンマー人のコミュニティー

太郎の宝物である本「The Haw -trader of the golden triangl」の中で
第二次世界大戦前にワのソーバー(土候)が台湾に逃げたと言う記述があった
今でもワは辺境であるが、戦前のワからどうやって台湾に移動したのか、理由は?
何で台湾だったのか? 興味が尽きない!!

いつか台湾でこのことを知っている人に聞いてみたいと思っていたが
今までその機会もないままに来ている

幸い、台湾は戦前の日本の趣を残している街や温泉もあるそうで
飯も非常に美味しいので一度、行ってみようと思っている

その際には台湾から地下鉄で行ける台湾のビルマ人村に行かなくては?
国民党の残党が集まった村なのかな? 

今の馬政権では余り喜ばれないような感じの村だが
興味が絶えないし良かったら通いそうだ!!

何と言ってもミャンマーに行くよりずっと安い!!!

いつ行こうかな・・・・・
続き▽
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