ランド屋太郎

ミャンマーの辺境や日本でランドをしながら感じたことを勝手に書き散らかしています。

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台湾のビルマ人街(10)

まずはスーパーらしきお店に入ってみる



看板でビルマのお店と分かります


中はヤンゴンの小さな雑貨屋と言うか余り変わらない感じです
違うのは清潔さ位かな?




太郎は日本で買うと高いオイスターソースとかを買って帰ろうかと
一瞬考えました










ヤンゴンで見てたときは何とも思わなかったけど、
台湾の台北でみると何となく懐かしいと言うかうまく言えない感じです






お決まりのこうした仏教関係のアイテムもちゃんとあります



実は太郎は日本に買って帰りたいものがあり3軒の雑貨屋さんを訪ねたのですが
残念ながらありませんでした

何を探していたのか?

マンダレーラム(軍用)
どこにもおいてなかったです(涙)

それどころか、ミャンマービールさえ置いてなくて
ネットで以前は,置いていたこと、値段なども確認していたので
どうして置いてないのか?尋ねると
「高すぎる」と言う返事

仕入れが高過ぎるようです


うーん、何か寂しいな〜

ミャンマーのビールが飲めないのは・・・・・・・
残念でした
続き▽
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台湾のビルマ人街(9)

台湾滞在の3日目、ビルマ人街に行って来ました

場所は地下鉄の中和線で終点の南勢角駅で降りて、目の前の通り(興南路)を
10分位歩きます。、



ビルマ人街に行く途中でもこんな看板がありました。
タイ料理、雲南料理、ビルマ料理を出す店ですね
この漢字はルビーと言う意味なのかな?









こんな感じの通りを10分ほど歩きます




華新街と言う通りが左に見えてきました.

一緒に行った人達はヤンゴン滞在歴数年のなのでビルマ語の看板を指差して
「懐かしい」と喜んでます、

太郎も何故かビルマ語の看板が見えて「ホッ」としました。




ここが台北のビルマ人街、


通りの両側にはビルマ料理のお店が並んでます
中にはスーパーらしき店も数件あります


通りの様子は次回から
続き▽
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台湾のビルマ人街(8)

うーん、向こうで撮って貰った110枚の写真が何故か
アップ出来ません(涙)

何故なんだろう・・・・・

縁結びのお寺で真摯にお祈りをされてる人たち
占い通りで真剣に占い師の話を聞いてる人
怪しげなうぶげ取りを路上で試している方
巨大なマンゴのカキ氷

もちろんビルマ人街の写真も満載です

写真を期待されてる方、もう少々お待ちください

話は戻って

台湾に移住した中国系ミャンマー人の人たちが
水掛祭りでミャンマー人と言うことを強調しているのは
ミャンマーの文化と言うことでミャンマー出身の中国人と言う形で
コミュニティーを作ってると言う説明でした

何でも台湾に移住してくるのは
一番多いのがアメリカから、二番目がインドネシアから
三番目がミャンマーからだそうです。

結構、ミャンマーから移動してくる人、結構、多いんですね、

でも、今思うと
ビルマ人街が出来た1950年代はミャンマー・シャン州にいた
国民党軍が台湾に移動してきたし

それがビルマ人街の始まりだったんじゃないのかな?
それだと、皆、中国語は話せたんじゃないのかな?

中国語の話せないミャンマーからの中国系ミャンマー人の移住が
始まったのはそのあと?
水掛祭りがビルマ人街で始まったのはいつなんだろう?

分からないことがまた、出てくるからメールで研究者の人に
尋ねてみよう!!

研究者の一人の方はビルマ人街の生まれでビルマ語を話し
日本のミャンマー研究家にも知り合いがいて日本のミャンマー人
コミュニティーにも興味があるようだった

この台北の研究者を紹介してくれたIさんはタイの某地方都市在住、
ミャンマーの辺境への関心でタイ・日本・台湾在住の人間が話を
できるって面白いな・・・・・

太郎はこのタイペイのミャンマー研究家に会った際は
○○先生にも無理を言って一緒に来て貰いました

ミャンマーの研究家達も○○先生の50年前のミャンマーの話には
興味津々でいろいろな話をされてました

でも、一番驚いたのは先生の元気さだったんじゃないかな?
今、これだけ元気な先生です
50年前の元気さを想像すると・・・・・

怖すぎます(苦笑)


次回は何とか写真をアップしてビルマ人街の話に!!
続き▽
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台湾のビルマ人街(7)

ミャンマーにいる中国系の人たちと言っても
いろんな人たちがいる

流暢に中国語を話す人もいれば
まったく話せない、書けないと言う人もいる

太郎の知り合いの男性ガイドの結婚式に出席した時に
そのガイドは中国系と言うことは知っていたが(中国語の読み書きはほとんど出来ない)
奥さん(こちらもガイド)は中国系のかけらも見えなかった

男性ガイドのお父さんが「嫁は中国系でないと駄目だ」と言っていたので
よくビルマ族の嫁さんを認めたな〜、旦那が説き伏せたんだな〜と感心していたら
あれ? 何か結婚式の会場で奥さんの名前のとこにも漢字が書かれている

周りの連中に尋ねても奥さんが中国系と言うことを知っているのは誰もいなかった
口の重い連中から聞き出したのは奥さんの先祖に中国系がいるのは事実

だから、中国系と言うことで結婚にたどりついたんだろうと言う

偉いな〜と思いましたね。この旦那
そこまでして、結婚したかったんだ!! 偉いぞ!!

「家のドアを開くまでは私は独身です」と言ってる人間と
同一人物とは思えない
昔を思い出せよ(笑)

話がそれてしまったがミャンマーでもヤンゴン周辺の中国系の人たちには
驚くほど話せない書けない人が多い

マンダレー以北の中国系の人たちは北京語の方言の1つである雲南語を
話す人が多い

中国語を話せないで台湾に移住した人、雲南語(北京語に似ているそうです)を
話す人も同じミャンマーからの移民として台湾に移って来ます。

これが下地の1つになっていたようです。

意味が分からないと思いますが
続きは次回に
続き▽
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台湾のビルマ人街(6)

今回の台湾行きの目的は2つあった
その1つが台湾のミャンマー研究家に会うこと

予定していたのは二人の研究家、一人の方は台北のビルマ人街の生まれで
台北のビルマ人街の水掛祭りの論文も書かれている。

もう一人の方は中国・雲南人の北部タイ、ミャンマーへの移住の専門家
ヒスイを扱う雲南人や北部タイにおける国民党の残留軍に関する論文を
書かれている。

お二方とも女性で堅苦しい雰囲気は微塵もなく
気さくな方でお土産に持っていった
柴又帝釈天・参道の店「い志い」の米米ロールを
皆で食べながら話をする

このお二方のいる施設を訪ねた際、ドアが閉まっていたが
開け方が分からず困っていた。
幸い一緒にいた○○先生を見た職員の方が開けてくれたが
太郎一人じゃ開けてくれなかったんじゃないかな?

お二人の研究家は太郎の質問に明瞭に回答してくれた
流石、専門家!!

太郎が尋ねた質問はこんなこと

何で台湾に移住した中国系ミャンマー人がミャンマー人としての
独自性や固有性を強調するのか?

回答は明解でした

それは台湾におけるミャンマーから移住した中国系ミャンマー人の
他の国から台湾に移住した中国人たちとの違いだった

詳しくは次回に
続き▽
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